2013/01/30

迷走と渇望







最近ものづくりが迷走しすぎて、一体自分はどこへ向かっているのか… 
何をしたいのか…と、考える事が多くなっています。 


こういうのが欲しい!というものが、なかなか売ってない。
それなら自分で作ろうと、天然石の jewelryを作ったのが「ものづくり」に
向き合うことになったきっかけですが、その後は、絵、刺繍、ビーズ、
切り絵、粘土…と、その時その時に心惹かれたもの、やってみたい、
作ってみたいという気持ちのままにあれやこれやと手を出して制作しています。 


カタチがいろいろでも、方向性が一つなら、それは一つのファクターを
様々な方法で表現していると言えるのでしょうけれど、ポップなもの、
ナチュラルなもの、エレガントなもの、シュールなもの、アンティークなもの、
どれもそれぞれに好きなので始末が悪い。
ブランド(今はブランドなんていう状態でないのは充分承知しています。 
例え方がわからないので…)の方向性や chicoree(チコレ)に持つイメージが
安定しないっていうのは、果たしてどうなんだろうと
思ってしまうことがあります。繊細な天然石 jewelryを気に入ってくださった方が、
シュールなブローチを見たらどう思うんだろう…とか。 


もちろん、いろんなことにアンテナを張っているいることは
大切だと思いますし、新しいチャレンジをすることは良いことだと思っています。
性格上、きっとこれからもそうなってしまうのでしょうけれど、
何かを「極める」という点においては明らかに宙ぶらりんで、
そんな状況にフッと不安になる時があります。 
きっとそれは、限りある人生・時間の中で「これ」というものを、
何も成し得ないままに終わってしまうのではないか…という気持ちに
繋がっていくのだと思います。 


年齢を鑑みて、自分がどうあるべきか…などというものは、
誰かと比べるものでもなく、様々なタイミングや進むべき道や方法は、
人それぞれなのは当たり前の事ですが、しかしながら、アタシの中には
「命を懸けて一つのことに打ち込んだ」という事に憧れる気持ちがあり、
年齢に関係なく、それを見つけられた方や、今まさにそれに 
打ち込まれている方を見ると、切ないほどに羨ましく思う気持ちがあるのです。 


もしかしたら、この先、「これが求めていたものだった!」というものに
巡り会えるかも知れませんし、今までいろいろやって来た中で、
「やっぱりアタシにはこれしかない」というものが見える日が来るのかも
知れませんが、現状は、着地点など全く見えず、 膨らんでいく焦りと、
なおも続く様々な好奇心を織り交ぜながら、その時つくりたいものに 
向き合っている(流されている?)といった感じです。 


「燃え尽きるその日までやり続けた」という「何か」。 
それを得る日は、果たして訪れるのだろうか・・・。